「子どもミュージアムプロジェクト」の輪は全国に広がっている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経営者インタビュ-

生き方が変わるほどの体験

絆を生んだ利他の経営

株式会社宮田運輸
代表取締役社長 宮田博文

大好きなトラックで走り回り、
経営も目的も見えていなかった

 徳島で日本通運(株)に勤めていた祖父は、7人のこどもを育て上げるため定年後、大阪に出て起業。家族みんなでやってきた会社は、長男で
ある伯父が2代目、父が3代目を継いできました。私も幼い頃からトラックが好きで、高校を卒業する前には免許を取って入社。乗用車より先にトラックの運転を覚えていました。
 そんな私が盛和塾に入塾したのは入社から20年近くが過ぎた2007年、専務の頃。取引が始まったばかりの会社の社長さんに勧められたから、というだけの理由で、当時の私は稲盛和夫氏の存在さえ知りませんでした。

経営体験発表、合宿研修会…
生き方までも変わる体験に遭遇

 経営について思い悩むことなどなかった私には、月に一度の盛和塾は憂鬱なものでした。変化が表れたのは約1年後、初めての経営体験発表の後から。私の未熟な発表を受けとめる塾生の皆さんの姿勢や質問は、真剣そのもの。何より、それまで話す相手もなかった私に多くの方が声を掛けてくださるようになったのです。また年に一度の合宿研修会では、私自身はもちろん、その2日間で経営のみならず生き方そのものが変わっていく多くの経営者を目の当たりにし、これは本当に凄い体験をしているのだと感じました。

悲しい出来事が、社員と

思いを共有するきっかけに

 2013年8月30日、弊社のトラックが事故を起こしたという知らせが入りました。スクーターとの接触死亡事故でした。亡くなった男性は43歳で、小学生の女の子のお父さんでした。自分の大好きなトラックがこんな悲しみを生んでしまう…そのことが本当にショックでした。盛和塾の先輩に勧められ、その後しばらくは社員とじっくり向き合う時間をとることにしました。その間にも塾の先輩方から次々にメールや手紙、あるいは会社まで来て励ましやアドバイスいただきました。

「利他」の心が経営を、
社会を、未来を変える

 この出来事は、売上げや規模の拡大だけではない、事業の本当の意義を私に考え直させてくれました。法律や規則をどんどん厳しくして安全を「管理」する方向が、本当の安全運転につながるのか。運転士の良心を信じ、発露させたい。みんなが笑顔になれるようにしたい。そして誕生したのが、トラックをこどもの絵でラッピングした「こどもミュージアムトラック」でした。運転士が大事に飾っているこどもの絵をみんなが見える場所に飾ったら…みんなの心に優しい気持ちが生まれ、少しだけ事故を減らせるかもしれない…そう考えたのです。
 このプロジェクトは賛同を呼び、全国の運送会社にその輪が広がっています。
 人や社会や未来を思いやる「利他」の心が経営者の生き方を変え、社員の生き方も、社会も変えていく。決して大げさではなく、そう実感しています。